文/凱倫/原文網址

嫉妬心について話すと、これら3つの感情は「ネガティブな感情」と見なされることが多いですよね。よく考えてみてください。心の中に嫉妬が生まれると、すぐにその考えを消し去ろうとしませんか?まるで罪悪感を感じるように、何か認識の不協和があるような感覚で?だからこそ、自分の気持ちを良い方へ持って行き、その感覚を和らげようと急ぐのではないでしょうか?

実は、嫉妬心そのものは良いことなのです。

私自身の例を挙げると、大学時代から、身の周りの友人や周囲の人たちが、心配事のない生活を送っているのを「羨ましい」と思っていました。俗っぽいですが、そういった負担のない生活は、彼らに選択の自由をもたらし、自分がやりたいことができ、往々にして自分よりもたくさんのことを成し遂げられるのです。

ある日、自分のステータスに「平凡に甘えたくない」と書きました。あるとき、考え込んでいるうちに、授業中にうっかり涙してしまい、良き仲間に見られてしまったので、慌てて頭を下げて涙を拭い、何もなかったように振る舞いました。その仲間はそのとき、逆に「平凡こそが幸せ」と私を慰めてくれました。

しばらくの間、この羨望の気持ちをうまく理解できず、自分は劣等感を感じるばかりでした。どんなに頑張っても彼らのようにはなれないような気がしていました。ずっと後になって、客観的な第三者の視点で自分を見つめ直すと、自分の経歴と能力は実は、すでに自分の価値を定義するのに十分な段階に達していました。それでも、足りない部分がたくさんあると感じていたのです。

往々にして私たちは、他人の成果を使って自分が十分に優秀ではないと責め立てたり、他人を嫉妬したりします。例えば、1~2ヶ月ごとに海外へ出かけられるなんて、日本や韓国のような近い国ではなく、ヨーロッパやアメリカへ。時には自分がいかに幼稚かと思い、なぜ他人を嫉妬するのかと思います。

しかし、後になって私は一つの真理に気づきました。嫉妬の根源を明確にすることで、初めて不均衡感を払拭できるということです。なぜなら、多くのことの「成功」は、自分が手に入れられないのではなく、自分次第だからです。実行するかしないか、努力するかしないか、継続するかしないか、一か八かの賭けをするかしないか、後ろ道を塞ぐかどうか。他人を見つめるだけではなく、自分にどんなリソースがあるか見つめ直し、さらにそれをどう配分するか、どう拡大させるか、どう成功を掴むか、そして目標に心を注いで、他人が嫉妬するような人になることが大切なのです。

言い換えれば、この嫉妬心を保ち続けるべきということです。ニーチェも同様の見方を提唱していました。彼はすべての嫉妬心は、現状に甘んじてはいけないということを教えてくれるドライバーになる、なぜなら絶えず成長し続けるから、今あなたが嫉妬し羨む対象のすべてが、未来のあなたの姿になり得るからと言ったのです。