以前、自分は怒られることが怖くて、間違えることが怖いと言ったことがある。よく考えてみると、私は「他人の目を気にしすぎている」のだ。
どういうことかというと、自分がやることはいつも真摯な態度で実践しているのに、真摯な態度が必ずしも完璧な成品につながるわけではない。時には能力不足や不慣れな分野の問題があり、そうした要因が自分に自信をなくさせている。自分ができると確信していることさえ、100%の確信が持てず、こうした欠点と不安に陥りやすいのだ。
最近、撮った写真の背景を消すという案件を受けた。Photoshopで背景を消すことには確信があったし、その日は以前購入したライブ配信用ライトを持って行き、「見た目は」プロっぽかった。2日間かけてすべて撮り終えたのに、帰宅して確認したら、自分の撮影技術がそこまで良くなく、修正作業が「いまいち」になってしまい、ずっと罪悪感に陥っていた。
幸いにも発注者は姉の友人で、何も言わず、いつでも撮り直しや自分たちで撮影することも歓迎してくれた。姉に**「こんなに下手なの?」と聞いてしまった。他人が自分への信頼を失うことが本当に心配で、この数日間ずっと気分が悪かった。その時、姉は不機嫌そうに「また最初からやり直せばいいじゃん!」**と言った。その時初めて気づいたのだ。他人は実はこの仕事がどれだけ下手かなんて気にしていなくて、ずっと修正方法や他の対応方法を考えていたのであって、私という人間の能力を疑っていたわけではない。私が自分に自信がなさすぎていただけだ。
この案件はもう期限もなく、修正もできるし、相手も寛容で、まだいくらでも改善の余地がある。ただ自分が感情に陥ったまま抜け出せず、怒られることまで怖くて、相手が撮り直したい理由を先に理解することもなかった。もちろん、自分だって写真の品質が良くないことは知っていたが、全部撮り直す必要もない。より専門的な友人に相談して、どう対処すべきかアドバイスをもらい、どう調整すればより良くなるかも教えてもらった。だから問題は解決できるのだ。心配する必要はない。修正すればいいだけ。
これはちょうど「昔の人は物が壊れたら修理する、現代人は壊れたら新しく買う」という言葉のようだ。私たちの価値観も小さい頃から間違っていたのではないだろうか?完璧にやらなければ能力がない、実力がないと思い込み、挫折するとすぐに諦め、変化に直面すると自分はダメだと考える。実は物事は私たちが想像しているほど難しくない。私たち自身の想像によって制限されているだけだ。勇敢に枠を壊してこそ、前に進める。たとえ小さな一歩でも、それは進歩なのだ。



